膠原病 小児(若年性)皮膚筋炎 皮膚筋炎

病気 治療

私は5・6歳ごろ小児(若年性)皮膚筋炎を発症して、かれこれ40年も膠原病患者として生きてきました。どのような症状からはじまり、どのように病気と付き合ってきたのか書いていきます。

膠原病 皮膚筋炎 とは?

まずは膠原病と皮膚筋炎について簡単に説明したいと思います。

膠原病とは、ひとつの病気の名前ではなく、いくつかの病気が集まったグループを表す言葉です。皮膚や内臓や血管に炎症・変性を起こし、さまざまな臓器に炎症を起こす病気の総称です。

また、免疫には自己と非自己(外からの侵入物)を厳密に区別して、自己とは反応しないような仕組みがありますが、何らかの原因(まだ解明されていない)によってこの仕組みが乱れて、自分自身を標的として免疫反応が起こってしまうことがあります。これを「自己免疫」と呼びます。
膠原病患者の血液中には、自分自身の体と反応してしまうリンパ球(自己反応性リンパ球)や抗体(自己抗体)が見つかり、このことが膠原病という病気を引き起こす原因になっていると考えられます。 このために膠原病は「自己免疫疾患」とも呼ばれます。

この膠原病にはたくさんの種類の疾患が含まれています。その中のひとつに皮膚筋炎があります。主に皮膚と筋肉に炎症が起きる病気で、この病気は全ての年代に見られますが、小児期(5~14歳)と成人期 (35~64歳)に発症しやすいようです。原因は不明ですが、免疫異常、ウイルスなどの感染、悪性腫瘍、薬剤の影響、遺伝的素因が考えられています。

16歳未満で発症した場合、小児(若年性)皮膚筋炎と呼ばれます。特徴的な主症状は成人と同じですが、病因や病態、予後などの違いから成人の皮膚筋炎とは分けて考えられています。

※ 詳しくはこちらをご覧ください。(本文内、参照しております。)

・京都大学医学部付属病院 免疫・膠原病内科 【膠原病とは】

・難病情報センター 【皮膚筋炎/多発性筋炎(指定難病50)】

・小児慢性特定疾患情報センター 【皮膚筋炎/多発性筋炎】

小児皮膚筋炎について(わたしの場合)

私が最初に病気だと自覚したのは、小学校2年生の冬に大きな大学病院へ連れて行かれ、入院することになった時です。発症したのは小学校に入る前ですが、なんの病気なのか診断が確定するまでに時間がかかったようです。

小学校1年生の時、担任の先生から病院で診てもらったらどうかと、言われたのがきっかけになりました。
今でもはっきり覚えている、つらい思い出があります。
小1の体育の授業中、みんなでグラウンドを走っている中で、私があまりにも遅いので先生は私がふざけていると思ったようで、とても激しく怒られて泣きながら走っていたのを忘れることができません。そのころ既に足の筋力が低下し、力いっぱい走ることが出来なくなっていました。何もない所で転ぶこともしょっちゅうでした。

その後、母に連れられて地元の市民病院の小児科を受診し、そこから大学病院へ紹介され、検査入院を経て小児皮膚筋炎と診断されました。

私自身はあまり記憶にないのですが、母が気付いた症状は、腕や足の発育不良です。4歳頃までは兄弟やお友達と普通に走り回って元気いっぱいな子供だったのですが、5・6歳頃から徐々に腕や足が細くなり、あまり活発に動きまわることがなくなっていきました。気づけば、横になってごろごろしていることが多くなっていました。

皮膚筋炎の特徴なのですが、腕と足の筋肉が炎症をおこしどんどん細くなり、見た目にも異常な細さになります。からだ全体のバランスから見ても腕と足だけが細いので、成長するにつれて周りの目がとても気になるようになりました。気持ち悪いと言われ、よくからかわれました。

筋肉の炎症に伴い関節の動きも悪くなり、からだ全体がとても固くなりました。ひじも伸びることがなく、大人になった今でも曲がった状態です。足首や手首、ひざ、股関節ほとんどの関節が固いので、生活に支障は多々あります。
学生時代の体育の授業は周りのみんなと同じようにはできなくて、見学していることが多かったです。運動会や体育祭もほとんど参加できず、とても悲しい思いをしました。

皮膚筋炎の特徴として、子供のころ私に出ていた皮膚症状がいくつかあります。まぶたが赤く腫れぼったくなる(ヘリオトロープ疹)、手指関節が盛り上がって紫紅色になる(ゴットロン丘疹・徴候)、首~上胸部、肩~背中上部が赤色になる(V徴候、ショール徴候)、寒くなると手指が白く冷たくなる( レイノー現象)など。
赤くなるところは痒みも伴い、毎日ステロイドの塗り薬をぬらないと、かゆみで眠れないほどでした。長期にわたってステロイドの塗り薬を使用していた為、皮膚が薄くなり、一年中乾燥対策が必要です。紫外線にもかなり弱い肌になってしまったので、要注意です!! 
いちど薄くなった皮膚は元には戻りません。

治療に関しては子供だったので、詳しくは覚えていません。ステロイドを服用して治療していたのは記憶にあるのですが、治療期間や種類、投与量の詳細は申し訳ないですが、わかりません。おそらく、病気が確定(小2)してから治療が開始され、中学生まで続いていたと思います。中学時代の写真はどれもムーンフェイスになっています。顔がまんまるで私の黒歴史です・・・。

ステロイドを服用すると副作用によりムーンフェイス(満月様顔貌)、中心性肥満などが現れることがあります。からだ全体がむくみやすくなるのと、代謝異常により、文字通りムーンフェイス(まんまる顔)になります。それと、中心性肥満は体の胴体(腹部、背中、腰回り、肩周辺)に脂肪がつきやすくなります。
皮膚筋炎患者の場合、腕や足は細くなり中心部のお腹周りなどが太くなるという、とても悲しい体形になってしまいます。この副作用に関しては、ステロイドの服用を終了すれば自然に顔のまるみも、お腹や背中の脂肪もなくなるので、ご安心ください。

私の場合、高校生になった頃には治療も終了して、病状も安定していました。月に一度、地元の市民病院の小児科(まわりは小さな子供ばかりで恥ずかしかったです)で現状の確認と乾燥用の塗り薬(弱めのステロイドとヒルドイド)を処方してもらう程度でした。
安定しているといっても、筋肉の状態が健康な人のようになるわけではなく、激しい炎症はないという程度です。普段の生活で動きがある筋肉は維持され、使わない部位は筋肉がどんどん落ちていきます。

私は右利きなので、右腕の力は生活に支障がない程度にはありますが、左腕はかなり貧弱でコップを口元へ上げることができません。食事の時もお茶碗を上げることができないので、とても困ります。足も使わないとすぐに筋力が落ちます。

小学校から中学校にあがる春休み、そのころは倦怠感が強かったので2週間ほどある休みをだらだらと過ごしてしまいました。中学校に入学してすぐの体育館での集会で床に座った後、起立のタイミングで私は足に力が入らなくて立ち上がれませんでした。自力で立ち上がれなくなったと、その時に気付いてかなりショックを受けました。近くにいた先生に助けてもらったのですが、周りの生徒たちも騒然として嫌な注目を浴びてしまいました。

この経験から、自分の病気は筋肉が落ちるのを食い止める努力が必要だと自覚したのです。それ以来、なるべく歩いたり階段を使うように心がけていますが、今現在も立ち上がるのは苦手で、何かにつかまらないと立ち上がれません。「自分で立てない=介護」こうならない為に意識して、からだ全体の筋肉を動かし続けなくてはいけません。
これはたぶん一生です!!

皮膚筋炎について(わたしの現在)

今はこんなかんじです。相変わらず、腕は細く、ひじもまっすぐになりません。
手首周りは13㎝しかありません。腕を出すと二度見されるので、夏でも長袖を着て隠しています。

まぶたは今でもヘリオトロープ疹が出ているので赤く腫れぼったいです。
普段はメイクで隠しているので、あまり気にはなりません。
片目だけの写真を載せますが、両方のまぶたに赤みがあります。メイクを落とすとあざのように目立ちます。

現在、2021年12月から皮膚筋炎の治療を再開しております。
長らく検査も治療もしていなかったのですが、別の病気がきっかけで改めて病院にお世話になることになりました。

急に右鎖骨が痛くなり、近所の整形外科を受診しても原因は分からず、生活に支障をきたすほど痛みが強くなっていきました。
もしかしたら皮膚筋炎が急激に悪化したのではないかという不安と、鎖骨に腫れも見られたので大学病院へ紹介状を書いてもらい、リウマチ科を受診しました。
検査と症状からSAPHO症候群という新たな病気を発症していることがわかりました。(SAPHO症候群については、別で説明をさせていただいています。)この時の検査で皮膚筋炎による炎症が出ているも発覚したのです。
そして、あらためて治療が始まりました。

治療について

ステロイドの服用による治療をしながら月に一度、通院にて血液・尿検査をして経過観察をしています。具体的には以下の薬を服用しています。

・プレドニン ・メトトレキサート ・セレコキシブ ・アレンドロン
(いずれもジェネリック品を利用しています。)

プレドニン(プレドニゾロン)は20㎎からスタートして、少しずつ減らしているので、それにあわせて他の薬も量や種類を変更していきます。
ステロイド剤であるプレドニンを減らすにあたって、免疫抑制剤であるメトトレキサートを併用しています。セレコキシブは消炎・鎮痛薬で、アレンドロンは骨粗鬆症でよく使われる薬です。

血液検査の数値でもっとも重要視しているのが、CK(クレアチニンキナーゼ)で、筋肉に炎症があると高くなります。最近の検査結果をお見せします。

治療をはじめてから倦怠感がなくなり快適になりました。
実はとても疲れやすく、毎日体がだるかったのですが、年齢的にしょうがないと思い込んでいたのです。ステロイド剤による治療をはじめると、すぐに体が軽くなり、頭の中がすっきりして、いろんなやる気が出てきました。気持ちも前向きになって、本当にうれしかったです。

ですが、良いことだけではないのです。
プレドニンの副作用でよくある、ムーンフェイス(満月様顔貌)になり、体重も急激に増加してしまいました。
私の場合、むくみがかなり酷く、特にまぶたが腫れたようになってしまいました。
上下のまぶたがむくみ、眼球を圧迫して目に痛みがあります。
同時に結膜下出血(写真を載せます。気持ち悪くてスミマセン。)が両目に頻発し、視力も低下しています。
CK値は少し高い状態ですが安定しているので、先生と相談してプレドニンの量を減らして様子をみていきます。
リウマチ科と合わせて眼科も受診することになりました。眼圧検査と目薬は欠かせません。

病気との付き合い方 ポジティブに生きる

大人になってからは良くも悪くもあまり変化がなく、いつからか病院へも行かなくなりました。自分で体調をみながら、大学も行けましたし、就職もできました。結婚もして、子供も二人、自然分娩で出産しました。ただ、体力がないので、なんでもやりたいことが出来るわけではありません。

わたしの子供のころの夢は看護師になることでした。病院でいつも身近に接してもらい、憧れていたのですが、体力が必要な職業なのであきらめてしまいました。
スポーツも体力的に無理ですし、頑張りすぎると熱が出たり、寝込むこともたびたびありました。いつからか、あきらめることが普通になってしまい、私のことを知らない人からしたら残念な人生のように思えるかもしれません。

ですが、そうでもないのです。
病気になったこと自体はよくないことですが、それ以外は私はとても幸運の持ち主なのです。
まず、何より私の両親や兄弟がとても良い人たちであることが本当に幸せだと感じています。幼少期からつらい事がたくさんありましたが、家族のおかげで健康な人たちと同じように生きてくることができたのです。

いつからか、いろんな人に助けてもらうという特技ができました。
私はどう頑張っても出来ないことがたくさんあります。
身近なことで言えば、ペットボトルやビンのフタを開けるのはかなり苦手です。他にも、スーパーで買い物をする時、買い物カゴに商品を入れ過ぎると重くてレジ台に乗せることが出来ないこともあります。
いずれにしても、家族や友人がいれば、いつもどおり助けてもらえます。そして私一人の時も、知らない人が助けてくれます。必死でフタを開けようとしたり、買い物カゴを持ち上げようと頑張っているのを見て、周りの知らない人たちが自ら手を差し伸べてくださいます。
私は遠慮することなく、助けていただき、笑顔でお礼を言うことにしています。

私の場合は幼少期から病気を患っているせいで、人間はひとりでは生きていけないと身をもって思い知らされてきました。そして、大半の人は優しいということにも気付きました。見た目では怖そうだったり、冷たそうでも快く助けてくれる人はたくさんいます。人間は本当に素敵だと思います。

私も困っている人にはなるべく声を掛けるようにしています。
腕力がなくても出来ることはたくさんあるのです。
人と話しをするのが好きで、聞いてあげることが得意です。悩みを聞いてもらうだけで、心が軽くなることってよくありますよね。私を信用して相談してくれる人がいます。私も人の役に立てるので、自信を持つことができます。
病気を患っていても自信を持って、自分らしく生きることが大切です。小さな幸せを日々の生活の中で見つけることも得意です。

私と同じ病気のかたや、ご家族、知り合いが病気を患って悩み、不安なかたもたくさんいると思います。つらい事はどうしても避けられないですが、それぞれが悩みを一人で抱え込まないでください。お医者様に相談したり、家族に聞いてもらうのも良いです。口に出して、人に話すのがとても大事です。

病気は自分の個性みたいなものではないでしょうか。誰にでも得意・不得意があるのと同じようなものです。病気になって不幸だと思っていては、つらいです。できない事を悔やむより、できる事を喜んで生きるほうがしあわせだと思いますよ。

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